家出っ子にとっての我が家

ところで、「家」というものは、家出少女たちにとって一体どんな存在なのでしょうか。
現代の少女だから突堤、別に家の存在を無碍にしているわけではありません。大切なものであることは間違いありません。意識しているかどうかはわかりませんが、家があるという安心感があるからこそ、多少やんちゃに遊びまわることができるのです。
かつては、まさに家がすべて。家という帰る所がなければ不安と孤独に押しつぶされそうな時代でしたが、現代では、しかしさすがに多少その意味での存在感は薄れてしまっているかもしれません。
携帯電話さえあればどんなところにいても、誰とでもつながることができる……それ故に、家を昔に比べて軽んじているのでしょう。

家に帰るのは寝るためだけに、あるいは携帯電話を充電するために帰る、という少女たちが増えてきています。家に対する精神的な依存度がどんどん低くなっているのです。
ただ物質的に、それこそ携帯の充電であるとか、慣れたベッドで眠るためなど、そうした面しか依存しなくなってきているのです。少なくとも、少女たちはそうとしか認識しなくなっています。

家、または家族という存在の大切さと、それに自分がどのくらい支えられているか。それに少女たちが気づくのはまだまだ先の話になります。
今の少女たちは刹那的にと言うか、ただ今自分が求めていることを、気づくことができる部分で家を利用しているに過ぎません。そうした物質的な意味を越えた家の大切さに築くことができるか……それは少女たちが自分をどのくらい見つめ直すことができるか試合です。

結局、自分で気づくしか無いのです。周りの人間がどのようにそれを説いたとしても、少女たちが自分でその言葉を反芻できるようにならなければ、ただ古い人間をうざいものとして認識して、益々意固地になってしまうこともあるのです。

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更新日:2011/12/04

カテゴリー:家出神待ち

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